ある秋の帰り道

「それじゃ、今日はこれで解散」
担任の菊池先生がそう言うと、クラス内はあっという間にざわざわとした声で満たされた。
「部活だりぃなー」とか「今日これからどこ行く?」とか、みんなそれぞれの放課後を過ごす。クラス内を満たすざわめきの主達は、そんな当たり前の高校二年生達だ。
俺も、そんな普通で、当たり前の高校二年生。

「やましたー!」
俺を呼ぶ声がする。誰が俺のことを呼んでいるかはすぐにわかった。

「どしたの、てっちゃん」
紺色の学生カバンの中に適当に文房具を詰め込んで、ニコっと笑顔を作って振り返った。

「今日、部活?」
てっちゃんは上目遣いをして俺に言った。いや、正確には上目遣いにならざるを得なかったと言うべきだろうか。

「いや、ちがうよ、てかとりあえずここ座る?」
そう言って俺は自分の膝の上をポンポンと叩いた。
てっちゃんはなんの躊躇も無く俺の膝の上に座り、俺はてっちゃんを後ろから抱いて、頭の上に顎を置いた。

「えーっと、そんじゃバイトは?」
「今日は休みだよ」

てっちゃんのさらさらとした髪の毛を撫でる。
ふわり、と甘いシャンプーの香りがした。
俺は、このシャンプーが何かを知っている。てっちゃん家に泊まりに行ったとき、てっちゃんと同じ匂いになったことがとても嬉しかったから。

「じゃあとりあえず今日は暇ってことで良い?」
「暇アンド暇って感じだねぇ。てか、てっちゃんこそ部活は?」
「今日はサボります」
「今日も、でしょうが」思わずふっと笑いが出てしまう。
てっちゃんは、本当は水泳部に所属しているのだけれど、なんとなく行きたくないらしく、最近よくサボるようになっていた。

「よっしゃー! トモ! マー! 今日は山下なんも無いって!」
てっちゃんがクラス中に響き渡る声でそう叫ぶと、トモこと大川智也と、マーこと河下昌也が「オッケー!」と言いながら俺の机の周りに集合した。

俺たちは、いつも四人でつるんでいた。
いや、正確には、俺を除いた三人でつるんでいた所に、俺が入って四人になった。

それまで俺は、いわゆるスクールカーストでいう所の頂点グループに属していた。なんでそこに居たかはわからない。でも、俺がそのグループに居ることに、クラスのみんなは何の違和感も感じていなかっただろうし、実際、俺もそこに居るのが一番楽だった。

だけれど、俺はそのグループを抜けた。別に、喧嘩をしたわけでも無いし、権力争いに敗れたとか、そんなくだらない理由でもない。

俺は、恋をした。
恋をしたら、その人と一秒でも長く居たいと思うのは普通のことだと思う。

だから、俺はつるむ相手を変えた。正直、スクールカーストの頂点グループを抜けるのは勿体ないことだと思う自分もいた。
でも、それよりも……。

俺は、君と一緒に居たかったんだ。

「あ、てっちゃん今日のカーディガン新しい?」
てっちゃんの着ているベージュ色のカーディガンに鼻を付けてくんくんと匂いを嗅いだ。
「え、うん。おろしたて。なんでわかったの?」
「新品の匂いがするから」
「山下は匂いフェチだもんね」

「匂いフェチっていうか、てっちゃんの匂いフェチって感じ」
今度は、てっちゃんの首筋に鼻を近づけて、くんくんと匂いを嗅いだ。

てっちゃんの、匂いがする。人間の匂いは、首筋が一番強いらしい。

「わ、バカ! こしょばいわ!」
てっちゃんが首筋を左手で隠して、空いている右肘でエルボーを喰らわされた。

「あのー、イチャイチャしてないでこの後どうするか決めようよ」
トモが呆れた顔で言った。

「い、イチャイチャなんてしてねーし!」
てっちゃんは勢いよく俺の膝から立ち上がり、不満げな顔を浮かべてトモに反論している。
「まぁまぁ、もうどっちでもいいじゃん」平和主義者のマーが二人の間で困った笑みを浮かべながら二人をなだめる。

俺はトモのことも、マーのことも、大好きだ。
俺がてっちゃん目当てにこのグループに突然入ろうとした時、なんの躊躇いも拒絶もせずに受け入れてくれた。

「とりあえず、コレ、やるっしょ?」
てっちゃんがカバンの中から、トランプを一組取り出した。

「そうだね、とりあえず大富豪、富豪、貧民、大貧民で行く?」
俺はてっちゃんからトランプを受け取って、シャカシャカと切りながらみんなに問いかけた。
「平民なしパターンね。おっけおっけ」
トモがギーッと音を立てながら隣の席の椅子を引きずりながら言った。

「よーっしゃ! 今日は負けねぇぞ!」
てっちゃんはカーディガンの袖を捲って、下唇をぎゅうと噛みしめている。やる気モードって感じだ。

俺たちは、四人全員が部活もバイトも何も無いときは、放課後集まって、よくトランプをしていた。
やるゲームは決まって大富豪。
採用しているローカルルールは、八切りにイレブンバック。革命有りで、ジョーカー一枚にはハートの三で対抗できる。もちろん、都落ちは有りに決まっている。
これが結構面白くて、白熱する。特に何かを賭けてやっているというわけでは無かったけれど、放課後暗くなるまで四人でくだらない話をしながらやる大富豪は最高に楽しいんだ。

俺たち四人以外が居なくなった教室で、やいのやいの言いながら熱い大富豪バトルが始まった。

一位抜けで大富豪が内定して、手持ち無沙汰になった俺は、ふと窓の外を見上げた。
今日は快晴で、空には雲一つ無い。
教室のカーテンが、窓から穏やかに吹き込んでくる風によって、ふわふわと揺らされている。

十月も中旬になって、朝と夜は少し肌寒いけれど、昼間はあたたかくて、風が心地よい。
どこかから、吹奏楽部だろうか。パパパパーとラッパを吹いている音が聞こえてくる。
眼下の校庭からも、野球部やサッカー部の雄叫びが時折聞こえてきていた。

ゆったりとした時間が流れている。永遠に、このまま高校生活が続いていくんじゃないかと思って、なんだか眠くなってきた。

何度か大富豪になったり、大貧民に落ちたりを繰り返していると、あっという間にてっちゃんの顔が燃えるような赤色に染まってきた。

「うわー! 眩しい」
てっちゃんは目を細めて、窓の外を眺めていた。

キラキラとした赤に染められたてっちゃんの顔は、繊細な美しさというか、可愛さと言うか……。ものすごく尊いモノを見ているような気分になった。
一瞬、大人びているような気がするけど、よく見ればやっぱりまだ幼い。
大人と子どもの中間で、ほんの一瞬しか見ることのできないてっちゃんの表情に、俺はしばらく見とれていた。

「おーい、そろそろ昇降口閉めるぞー」
教室の後ろにある引き戸がガラガラと音を立てて開かれて、見回りの先生に声を掛けられた。
「はぁい、ぼちぼち帰りまーす」
そう言って、俺たちは最後の一戦を終えると、帰り支度をして昇降口の階段を下りた。

俺は三人が駐輪場に自転車に取りに行く姿を見送った後、なんとなく空を見上げた。
さっきまで空を染めていた赤色はずいぶんと西の空の隅っこに追いやられていた。

「はる、おまたせー!」
キィーと言う高周波の嫌な音を立てながら、三台の自転車が俺の前に止まった。
「今日もよろしくお願いします」
そう言って、俺はいつものように、てっちゃんの自転車の後ろに跨がった。

俺の通っている高校は、自転車通学が七割ほどで、電車通学は三割くらいだ。
そんな感じで、俺以外の三人はチャリ通で、俺は電車ってわけ。
俺は、いつもてっちゃんと帰りが同じ時は、駅まで自転車で送ってもらっていた。
今日も、いつもと同じように、てっちゃんの後ろに座って、腰に手を回した。

『そんじゃまた明日ねー!』
校門でトモとマーに手を振って別れると、俺たちは駅へと向かった。

「うーーさっぶ!」
日が落ちると、急激に気温が下がる季節になっていた。てっちゃんの背中に隠れて風に当たらないようにしても、時々吹いてくる横風に震え上がる。
「えーそんな寒いかな?」
えっほ、えっほ、と言いながらてっちゃんが一生懸命自転車を漕いでいる。
身長差というか、体格差で考えれば明らかに俺が前で漕ぐ側になるべきなのだろうけれど、なぜかそれはてっちゃんがいつも嫌がるので、お言葉に甘えて後ろに座らせてもらっている。
「てっちゃんは身体動かしてるから寒くないんじゃ無い?」
「あーまぁ確かに、そうだ、な!」
若干息を切らせながら、てっちゃんは答えた。

目の前には、それなりの傾斜の坂道が待ち構えていた。

「てっちゃん、今日まだ時間ある?」
「よ、ゆー、で、ある!」
ゼイゼイと息を切らせて、なんとか足を踏ん張って自転車を漕ぎながらてっちゃんが言った。

「てゆーか、やっぱ俺が前やろっか?」
さすがにこの坂道はきついだろ、と思って声を掛ける。

「いや! だい! じょ、お、ぶ! んっはぁ……はぁ……」
なんとか坂を登り切ると、てっちゃんは肩で息をしていた。ほらやっぱキツいんじゃん。

「時間あるなら、公園で休んでこ。ちょっと話そうぜ」
俺は荷台から飛び降りると、目の前で静かに鎮座している公園の入り口に親指を突き立てて言った。

うちの高校から駅まで向かう坂道を登り切ると、『ほら、そこの二人、休んで行きなさい』と言わんばかりに、ちょっとした公園がある。

「そ、そうね、休んで行こっか」
ハーハーと荒い息を吐き出しながらてっちゃんが言った。

俺は明かりの消えかかった自動販売機でコーヒーを二つ買って、一つをてっちゃんに投げ渡した。
「おっ、ありがとっ……って熱っ! 熱いこれ!」
ほっほっ、と缶でお手玉をしているてっちゃんの姿を見ているとなんだかおかしくて笑えてくる。
「だって今日寒いじゃん」
缶を自分のほっぺたに押しつけた。じんわりとした暖かさが風に晒されていた顔を暖めていく。

いつも通り。この坂を登って、てっちゃんがバテて、公園で俺の買った缶コーヒーを二人で飲む。これも、全くいつも通り。

二人でベンチに座って、缶コーヒーを開ける。
カショッと言う小気味良い音と共に、香ばしい匂いがした。

「あーー染みるわーー」
ズズズと音を立てて、てっちゃんがオッサンみたいなうなり声を上げた。
「ハハハ、おっさんかよ」
俺もてっちゃんと同じように、ズズズと缶コーヒーを啜る。

「ずいぶん日が落ちるのも早くなったね」
はぁーっとてっちゃんが大きくため息を付いた。
ちょっとした坂の上にあるこの公園は、実は少しだけ見晴らしが良い。住宅街を眼下に見下ろし、この街が一望できる。
空は既に暗くなっていて、民家にポツポツと明かりが灯り始めていた。

「なんか汗引いてくるとやっぱ急に寒いな」
てっちゃんが身体をガチガチと震わせはじめた。

「ほれ、これどうぞ」
俺は着ていた学ランを脱いで、てっちゃんに羽織らせた。
「あ、うん。ありがと……って俺は女子か!」
そうは言いつつ、てっちゃんは俺の学ランを脱ごうとはしなかった。

お互いの缶コーヒーが無くなるまで、帰らないのが暗黙のルールになっていた。
そして、缶コーヒーを飲み終わる時間は、だんだんと、ほんの少しずつ、この公園に寄る回数が増えていく度、長くなっていっているような気がした。

「そういえばさぁ」
俺は思い出したかのようにてっちゃんに言った。
「いつになったら、俺のこと『山下』って呼ぶの辞めてくれるの?」
「えっ?」
てっちゃんが少し驚いたような表情を浮かべて俺の目を見つめてきた。
「や、やっぱりそれ、気になるの?」

俺は以前もこの公園で、同じようにてっちゃんに言ったことがある。
俺は、てっちゃんのことはてっちゃんと呼ぶし、トモのこともマーのことも愛称で呼ぶ。それはてっちゃんも同じで、トモのこともマーのことも愛称で呼んでいる。そのくせ、俺のことはいつまで経っても「山下」という名字呼びだ。
既に、トモもマーも、俺の名前の「晴彦」をもじって「はる」とか「はるちゃん」とか呼んでくれている。

「気になるっていうか……なんか距離感じるじゃん」
「そ、そうかなぁ……」
てっちゃんは目を逸らして、なんとなく気まずい雰囲気になった。
前もそうだった。呼び方をそろそろ変えてくれって言ったときも。

「お、俺的には! 呼び方で距離感が違うとかそんなんは全然ないよ!」
「いや、それはわかってる。前も言ってたし」
そう。前も言ってた。わかってるはずなのだけれど、なんだかこだわってしまう。てっちゃんに、愛称で俺のことを呼んで欲しい。

「じゃあ、別にいいじゃん、『山下』で」
「えーでもやっぱ俺的にはさぁ……」
なんとなくムキになって食い下がってしまう。

「あーもう、こんなに二人で一緒にいるのに、まだ距離感とか言うのかお前は!」
てっちゃんが立ち上がって、目をまっすぐに見つめて言った。
「そ、そうだよね……。うん、ごめん、変なことにこだわって」

「ま、別にいいけど。お前そーいう細かいこと気にするよなぁ」
てっちゃんは、ハハハと軽く笑って缶コーヒーを全て飲み干すと、ゴミ箱の中に缶コーヒーをシュートした。
白いゴミカゴが、カランカランと軽い音を立てた。

「ほら、晴彦、帰ろ」
てっちゃんが、そう言って俺の目の前に手を差し伸べてきた。
「えっ」
不意に名前を呼ばれたことに驚いて、てっちゃんの手と顔を交互に見る。

「プッ、ンハ、ハハハハ! なんだその間抜け顔!」
てっちゃんが腹を抱えて笑い出した。

「ちょ、もう一回! もう一回言ってよ!」
「えーそう言われると言いたく無くなるのが人間ってもんでしょー!」
もう一回! もう一回! とてっちゃんと公園で二人、小学生みたいにじゃれあった。

「はーもうアホか! ほら早く帰るぞ、や! ま! し! た!」
「うわーでたよ、いじわる哲哉……」
「あぁ!? お前そういうこと言うなら、もうチャリの後ろ乗せてあげないかんね!」
てっちゃんのチャリの後ろに乗れないのは、色々な意味で困ってしまう。
「ごめんなさい、訂正します」
ここは素直に謝って、てっちゃんの後ろの席を確保することを最優先した。

「んじゃ、帰りますかー」
学校を出た時と同じように、てっちゃんの自転車の荷台に座ると、自転車がゆっくりと走り出した。
さっきと同じように、またてっちゃんの腰に手を回す。
傍から見たら、男子高校生がぴったりとひっつくように二人乗りをしている、変な奴らみたいに見えているかも知れない。
でも、こうして乗っていて、てっちゃんは今まで一度も腰に手を回すなとは言わなかった。それに、てっちゃんの背中は俺よりもずっと小さいけれど、暖かくて、髪の毛からはいつも通り良い匂いがする。

てっちゃんの温度と匂いを満喫していると、キキッという不快なブレーキ音と共に、身体が前につんのめった。

「ほれ、ついたよ山下」
「うん、いつもありがとう」
荷台から下りて、てっちゃんにお礼を言う。
結局、山下呼びに戻ったな。っていうか、むしろ下の名前呼びこそおふざけだったのだろう。

「そんじゃ、また明日ねてっちゃん」
「うん、また明日!」

バイバーイと手を振って、改札を通った。
後ろを振り返ると、まだてっちゃんがこっちを見ていた。
ふっと笑みがこぼれて、小さく手を振った。

それに気づいたのか、てっちゃんが大きく手を振って、俺に向かってこう言った。
「晴彦! またなー!」

ズキッと一瞬、胸が痛くなって、顔が缶コーヒーを当てた時みたいに暖かくなっていく感覚がした。

てっちゃんは、俺の名前を呼んだ後、自分の自転車に乗って、元来た道を戻っていった。

俺は階段を上って、電車が来るのを待った。
心臓が、いつも以上に忙しく働いているような気がした。
その割には、なんかさっきよりも寒いような……。

「あっ」
俺はあることに気づいて、思わず声に出してしまった。

「学ラン、てっちゃんに着せたまんまだった……」

ま、また明日、返してもらえばいっか。

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